宗教を考える~キリスト教⑧
キリスト教の世界観・歴史観の根本になるものは、唯一の神の存在であり、神による万物の創造である。「唯一の神」というのは、神と並びうる存在、あるいは、神と相対立する存在がないということである。もし、他に存在するものがあるとするならば、それは神によって創造されたものであるということである。すべてが神の祝福と導きの中にあるので、キリスト教には暗い運命論や因縁論はない。もし、人が自分の人生の暗さを呪い、苦しみに悶々(もんもん)とするようなことがあっても、その中に神の祝福があり、それがより高い次元の価値につながる道と捉(とら)えるのである。
人生の苦しみや壁は人間に対する神の試みと捉えるのであり、そこに神のより大きな愛を見るのである。しかし、それは人間が遭遇する悲惨で不条理な出来事やそこに生じる人間の苦悩や絶望に目を背けているということではない。逆にそれを直視する。キリストが十字架の苦しみをありのままに受容し背負って歩んで行ったように苦しみを誤魔化したりしない。この地上での苦しみをありのまま受け取りながら絶望しないで生きられるのは、その彼方に更に高い価値の世界を見るからである。
身体的な存在であると同時に精神的な存在である人間は、精神の営みによって、その存在論的な限界を超越することができる。つまり、信仰の眼によって神を見つめ、神と繋がることによって、絶対者である神の命に高められる。ここに人間存在の究極の目標がある。この地上の苦しみは、神に心をあげていくための試練として意義づけているのである。
(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)
Friday, October 13, 2006
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