Tuesday, October 03, 2006

宗教を考える~仏教③

もう一つ、最初期の経典の主張の中で見落とせないものは「この心は本来汚れを離れた清浄なものであって、たまたま偶時的な煩悩※1(ぼんのう)によって汚されているにすぎない」という主張である。これは全てのものが仏たりうるという仏教の根本的立場を支える説ということができる。

仏教における聖職者は一般に僧と呼ばれる。ブッダの時代には、仏教教団を意味するサンガは出家※2した男女と在家の男女を中心として構成され、これらの人々は原則的に平等であった。しかし、実際的には出家者がサンガ(仏教教団)の中心であり、在家の信者は教団を経済的に支える役割をもっていたのであって、聖職者という場合には、何といっても出家者をさすことになるであろう。

一般に日本の寺院の役割は、修行を中心とするもの(例えば禅宗の専門道場を中心とした寺院)と葬儀・法事などの儀式や布教を中心とする寺院に分けることができるが、これはそのまま仏教の聖職者の仕事ということができるであろう。

※1煩悩:心身を悩ます一切の妄念 〈妄念:妄心(もうじん)、迷妄の執念 → 妄心:迷妄の心、分別心、偽りの心〉
※2出家:俗世間を捨て、仏門に入ること ⇔在家 (俗世間:一般の人の住む世の中)

(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

No comments: