Monday, October 30, 2006

ひとりごと⑳

新聞やテレビのニュースで毎日のように取り上げられている学校の問題。特に、若い命を自殺にまで追い込むいじめにはついては教員や教育委員会だけに任せるのではなく、児童や生徒の保護者、文部科学省も巻き込んで早急な対策を施(ほどこ)すべきである。現代では核家族化が進み、昔と比べて家で親に相談することも減っていると思われる。親には忙しい合間にも子供の顔色を伺って欲しい。親子間でいつでも相談ごとができる環境を用意してあげて欲しい。文部科学省はいじめによると思われる自殺がどれほど起きているのかを調べる必要がある。これは学校や教育委員会に任せておいたら正確な数字は掴めない。そして、その数字の把握にも協力しない、更には隠蔽(いんぺい)が数多く認められる学校の管理・監督職には何らかの厳しい処分が必要だろう。子供たちの正しい模範となるべき立場の教員の長が事実の隠蔽など決して許されるべきことではない。

日本国憲法には「基本的人権の尊重」という内容があると記憶する。小学校の社会の授業では、過去の歴史よりも先ず現代社会におけるルールとして、基本的な法律を学ばせる必要があると思う。ルールを守らず、しかも相手に嫌な思いをさせたり、迷惑を掛けたりしたら、そのような者にはどういった罰則が課せられるのか。また、それとは逆に、された側の気持ちを解らせることも重要だろう。

つぎに必修科目の履修漏れの件、これは学歴社会の弊害に違いない。私の時代にも学歴社会の弊害はあったと思うし、私は実際にそれを訴えかけていた。たとえ良い大学を出たとしても、社会に出ては自己の欲に溺れ、素晴らしいとは言い難い人生を送る人が政治家をはじめとしてたくさん居るし、良い大学を出ているにも拘(かかわ)らず、社会では実際に使えない人も実在する。今の親が自分の子供や学校に嗾(けしか)けるのも良くない。学校で用が足りないと思うのならば、親自身が勉強を見てやれば良いと私は思う。そして、そこで親が気付くことも絶対にあるはずだ。
また、受験は平等を期さないといけない。ちゃんとカリキュラムに沿って教えた学校と教わった生徒さんが実際に居るわけなのだから、現時点ではその平等をセンター試験や大学の入学試験に置くしかないだろう。正しいことをやった者らが一番不利を受けるといったことは絶対にあってはならない。一方ではカリキュラムに則(のっと)った、受験と直接に関係のない授業を今もちゃんと受けていて、他方では受験に関係のある授業ばかりを受けていたのとでは明らかに公平でない。もし救済措置をとるのであれば、そういった正しき者らに決してマイナスにならないような大々的な措置をとるべきであると思う。

ゆとり教育、ゆとりを持つべきなのは児童や生徒さんではない。自分の子供さんと接する親御さんの方だ。今の日本社会の歪(ひず)みを社会全体で考え、正さなければならない。

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