宗教を考える~いじめ
市長が遺族に謝罪 女児「死にたい」と話す 10月5日 21時34分 共同通信
北海道滝川市の小学校教室で昨年9月、6年生の女児=当時(12)=が自殺した問題で、田村弘市長らが5日夜、女児宅を訪問し遺族に「いじめの把握と対応に不十分さがあった。子どもの苦しみ、家族の気持ちをないがしろにして申し訳ありません」と謝罪した。「いじめの事実を確認できない」としてきた滝川市教育委員会が同日、自殺の原因について「遺書を踏まえ、いじめと判断する」と初めて認めたのを受け、弔問した。また、自殺した女児が同級生に「死にたい」と話したり、交換日記に「自殺したい」と書いていたことが関係者の話で分かった。学校で「キモイ」「臭い」などと言われ日常的に仲間外れにされていたという。友人によると、女児は4年生のころから、多いときには1日おきに「死ねるなら死にたい」と暗い表情で話した。女児と遊んでいると「遊ばない方がいいよ」と別の児童に言われたこともあった。女児は図書室で1人で過ごすことが多かったという。
私もいじめられていた長くつらい過去がある。逆にいじめをしてしまった記憶もある。今ではその相手には申し訳なかったと思っている。でも、みんな元気に生活をしているようで、正直とても嬉しい。子供の頃に知り合った友人には幸せになっていて欲しいと思うのは人として当たり前のことであると私は思う。私はそういう教育を受けてきたつもりだし、大人になっていく上でちゃんと自分の心に育まれてきたと思っている。いじめられたり、逆にいじめたりと、双方の心の傷を理解したことが一番大きかったように今では思う。
この滝川市の件、小学校最後の楽しい思い出となったであろう修学旅行で、女子の中ではこの子だけ部屋割りが決まっていなかったそうである。あの頃を思い浮かべて欲しい。絶対に異常である。この子を自殺にまで追い込んだこの子のクラスの女子児童全員は自殺幇助の罪に問われてもおかしくない。 この小学校の教員らは恐らく見て見ぬ振り、今の時代の典型的な大人の姿だ。このクラスの教員、教頭、校長、教育委員会の者も含めて全て教育に携わる資格は無い。
私がいじめられていた頃を思い起こすと、どうも宗教らしきものと関係があったように思う。これを宗教と呼ぶと日々精進していらっしゃる宗教関係者に申し訳ないと思う気持ちもあるので、これより邪教と呼ぶことにする。この邪教はとにかくしつこく、非常に陰険で、組織的に動くようである。この子のクラスにもそういったものが働いた可能性がある。小学生が自ら信仰というのは考えにくく、その親達によるものと考えられる。詳しいことは解らないが、おそらくこの子のご両親はキリスト教系の宗教信仰家。この事件を邪教によるものと考える最大の根拠である。
Sunday, October 08, 2006
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