Thursday, October 05, 2006

宗教を考える~仏教⑤

ブッダは死後の存在の有無を追求することを無意味として退けながらも、輪廻※1(りんね)の観念はインドの伝統的な考え方として受け入れた。輪廻の観念は当然のこととして、業(ごう)の観念に基づいている。ブッダは輪廻と共に業の観念をも同時に仏教の中に取り入れ、人々が施(ほどこ)しをはじめとする善行を行い(施論)、戒律に基づく正しい生活をすれば(戒論)、必ず天に生まれることができる(昇天論)と説いたといわれる。しかし、これはむしろ人々に善を積むことを勧める為の方便であって、輪廻の具体的な経過を問題にしたわけではない。輪廻の主体については様々な議論が起きたが、生から死、さらに再生への連続を認めながらも、霊魂的・実体的存在をあくまで否定しようとする仏教の態度を見てとることができるであろう。

仏教は「奇跡」を説かないわけではないが、後代の密教も含め、奇跡の力を必要としない日常性の中に救済の理念を求めたものであると言い得る。仏教では、性行為は在家信者の夫婦間の正当な関係にのみ許され、その他の状況にあっては、出家・在家、年齢、性別、身分を問わず一切が許されない最も重大な禁忌(きんき)である。また、出家者は欲望制御の修行のため当然、生産経済などの行為は禁止されるから、極めて一部の例外的な場合に小銭を持つことが許されるかどうかが問題となるぐらいで、お金を持ち、運営して利益をあげることなどは一切許されない。

すべての仏教徒に課せられた五戒の最初に「不殺生戒(ふせっしょうかい」が掲げられている。あらゆる生き物の命を奪ってはならないという戒めである。してみれば、自らの生命を絶つという自殺も許されるべきではない。また、自殺幇助※2(じさつほうじょ)と自殺教唆※3(じさつきょうさ)に対しても重い戒(かい)が制定されている。現在、世界の各地で発生している国や民族の間での対立抗争は宗教に起因していると言っても過言ではなかろう。人々の幸福と世界の平和を願う宗教が不幸と破壊の戦争の引き金になっているとは不可解である。多くの人々が個々に自己の主張のみが唯一絶対の真理であると主張して止まなければ、唯一絶対の真理があちこちにあることになる。それらの主張は唯一絶対ではありえない。あらゆる宗教は議論と対話を通して人類の幸福と平和を求め、実現のための精進(しょうじん)を積み重ねるべきである。

※1輪廻霊魂は不滅でいろいろな肉体に生まれかわり死にかわるということ
※2自殺幇助自殺の意思ある者に有形・無形の便宜を与えて自殺させること
※3自殺教唆他人に自殺の意思を生じさせること

(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

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