Monday, October 16, 2006

宗教を考える~イスラム教(イスラーム)①

歴史的に言えば、イスラーム(al-Islam)は7世紀の初めにアラビア半島の都市メッカで、預言者ムハンマド(マホメット)により創唱された。イスラームとは「唯一の神(アラビア語でアッラー)に絶対的に帰依(きえ)※1すること」を意味する。イスラームという言葉の中に既に神の教えという意味が含まれているので、イスラーム教と言う必要は無い。当時、ムハンマドの生誕地メッカにはカーバ神殿に多数の神々が祀(まつ)られ、毎年多くの巡礼が集まっていた。また、隊商貿易の中継地としても繁栄していた。その一方で、貧富の差が拡がるなど、様々な問題が起こっていた。ムハンマドはこの地の名門の家に生まれたが、幼くして孤児になった。そして、25歳の時に富裕な女性商人ハディージャと結婚して生活の安定を得る。その頃からムハンマドはたびたび瞑想※2(めいそう)にふけるようになった。そして40歳の頃、突然に大天使ジブリール(ガブリエル)を通じて、アッラーの啓示※3(けいじ)を受けた。預言者としての自覚をもったムハンマドは天地の終末が迫っていること、多数の偶像崇拝※4をやめて唯一の神を信じること、争いや不正をやめて貧者や弱者を助けるべきことなどを説いた。最初にイスラームに帰依したのは妻ハディージャであった。
偶像を崇拝するメッカの市民とは三度にわたって戦ったが、630年にはメッカをほとんど無抵抗で征服した。ムハンマドが632年に没(ぼっ)したときには、ほぼ全域にイスラームの影響力が広まっていた。ムスリム(イスラーム教徒)たち自身によれば、このイスラームはこの地球が神によって造られたときから根源的に存在するものと考えられている。全ての人間は、もともとみなムスリムなのだと見なされており、イスラームへの改宗者をさして「ふるさとへ戻ってきたのだ」という表現をすることもある。このようなムスリムの内側からのイスラーム認識にも注意が払われるべきである。

(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

※1帰依:対象となるものを信じ、その教えに従うこと。対象となるものにすがり、全てを捧げること。

※2瞑想:雑念を払い、目を閉じて静かに深く考えること
※3啓示:神が人知(じんち)では図り知れないことについて、愛をもって教えしめすこと
※4偶像崇拝:偶像(神仏などにかたどって作り、信仰の対象とする像)を宗教的な対象として尊(とうと)び礼拝すること。あるものを絶対的権威として妄信的(もうしんてき:むやみに信じこむ傾向、状態)にあがめ尊ぶこと。

今の日本からすれば、近隣の時代遅れの独裁者の方がより身近な危険な存在として注目されるべきだが、世界の遥か遠くではもっと深刻と考えられるべき宗教・宗派の違いによる争いにより多くの人々が日々亡くなっている。日本国内でもオウム真理教やその他の邪教による問題が表面化してきており、もしこれが氷山の一角だとするならば、未だ水面下に潜在している邪教について大いに危惧(きぐ)するところである。

No comments: