Wednesday, October 18, 2006

宗教を考える~イスラム教(イスラーム)⑤

イスラームにはキリスト教的な意味での聖職者や教会は存在しない。宗教指導者は存在するが、キリスト教の教会のような位階制を持つ組織によって叙任(じょにん)※1されるのではなく、特権的地位を持つものでもない。
歴史的に見ると、イスラーム社会における宗教指導者はイスラームに関する知識を持つウラマーと呼ばれる指導者と神との合一を願い、禁欲生活と修行を行う神秘主義者たち(スーフィ)の指導者とに分けられる。ウラマーとは、宗教的知識を持つ者という意味で、神学者や法学者、ハディース伝承者、コーラン読誦者(どくしょうしゃ)などを指していう。ウラマーは職業を表わす言葉ではなく、彼らは牧師、学者、裁判官、法律家、説教師、礼拝の導師、イスラム教の寺院であるモスクの管理者などの仕事に就いて生計を立てるのがならわしである。ウラマーはイスラームの学識と優れた人格、宗教心によって民衆の信望を得て、社会の各層や諸共同体を統合してきたといえよう。社会と国家の支配者との仲介者として支配権力の不正などをチェックする役割も果たしてきた。
近代になると、国家の世俗化(せぞくか)※2、ヨーロッパ法の採用などによって、ウラマーの経済的、社会的基盤が失われていった。ウラマーの社会的影響力は低下したが、精神的な指導力が無くなったわけではない。むしろ、その影響力が強まっているところもある。
イランのシーア派では十九世紀末から上級ウラマーをアーヤトッラーと呼び、その法的判断に一般信徒が従うようになった。イラン革命の指導者ホメイニー師もアーヤトッラーの一人である。

(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

※1叙任:位を授け、官職に命じること
※2世俗化:世の中のならわしに沿うこと

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