Monday, June 18, 2007

ひとりごとⅩ①

第37代総理大臣 岸信介Ⅱ
安保条約改定で戦後総決算に成功
通商産業省(現・経済産業省)で働いていた私にとって、岸信介は尊敬すべき先輩である。入省して間もなくのころ、産業政策の歴史をひもといて勉強したとき、少壮官僚だった岸がドイツ視察旅行から帰国して提出したレポートをもとに産業政策が生まれ、そこから基本ラインはほとんど変化していないことに驚嘆した。それは、「戦後日本の実験場」だった満州でもより徹底して実行され、その後の日本経済繁栄もそこに多くのものを負い、さらには、アジア経済の発展モデルともなった。そういう経済的な側面に着目すれば、大東亜共栄圏の主張は正鵠(せいこく)を射たものであったし、その遺産は燦然(さんぜん)と輝いている。だが、戦後の岸は経済問題にほとんど関心を示さなかった。商工省50周年式典での講演というのが、私が彼の肉声を聴いた唯一の機会だった。いまの役人は政治家に従順すぎるというお叱りは印象に残ったが、現代の産業政策については何も語らなかった。あるいは、岸の一の子分である椎名悦三郎が晩年まで商工族の政治家として頼りになる存在だったのに対して、岸は中小企業省分離の旗振りなどをして後輩たちを困らせた。そんなこともあってか、岸政権のもとでも経済政策にはほとんど語るに値するものがない。せいぜい、独占禁止法の骨抜きを図って失敗したくらいである。総理としての岸が心血をそそいだのは、吉田茂のもとでの日本の国際的位置づけが暫定的な色彩が強かったものを、定義し直そうという作業であった。鳩山、石橋はソ連や中国との接近を図ったが、これが危険なゲームになりかねないことは明らかであった。米国も、日本が中途半端な非同盟国への道に傾斜して、アジアの不安定要因になりうることを危惧しつつあった。そこで岸は、東南アジアを歴訪して賠償などを武器に戦争の傷を癒し、台湾ではかつての仇敵(きゅうてき)だった蒋介石(しょうかいせき)と和解したうえで、米国を訪れて頭脳明晰(ずのうめいせき)で信頼できる対話の相手だと印象づけ、それを基礎に対等の立場に立った安保条約改定を交渉した。ともかく、我が国の外交史において本格的で多角的な首脳外交を展開したのは岸信介が最初である。(引用:歴代総理の通信簿 間違いだらけの首相選び 八幡和郎著)

No comments: