Wednesday, June 20, 2007

ひとりごとⅩ③

第37代総理大臣 岸信介Ⅳ〈最終章〉
安保条約改定で戦後総決算に成功(つづき)
東条内閣の閣僚だった岸がなぜ復活できたかという背景については、第八章で安倍晋三を論じるときにも触れるが、冷戦だけでなく、世界的に枢軸側の人間の復権が幅広く進んだということがある。ただ、上記の第三点で指摘したように、戦前型の政治家である岸が、民主主義的な価値観に鈍感だったことも間違いなく、反対運動にも十分な正義があった。石橋の退陣で生まれた第一次岸内閣は、経緯から石橋内閣をそのまま引き継ぐものだったが、五ヵ月後の改造で大野伴睦(おおのばんぼく)を党副総裁とし、財界人の藤山愛一郎を外相に起用した。大野は、政友会の院外団(演説会などの運営や警備などから出発した情報収集、裏交渉、自衛的実力行使を担当する集団)から出発し、戦後の自由党設立、保守合同に活躍した寝業師(ねわざし:政治などの舞台裏で駆け引きを行う工作員)であり、藤山は大日本製糖の社長で岸の長年の支援者だった。第二次岸内閣では、弟の佐藤栄作に加え池田勇人(いけだはやと)という二人の吉田直系の官僚が重用(ちょうよう)された。だが、警職法改正をめぐって、池田隼人、三木武夫らが閣外に去ったので北炭(北海道炭礦汽船)の萩原吉太郎、右翼の児玉誉士夫(こだまよしお)、大映社長永田雅一の立ち会いで、いずれ大野、ついで河野一郎に禅譲することを約束して危機を乗りきった。参議院選後の改造で池田が通産相として復帰し、安保騒動を迎えた。後継総裁選挙には、池田隼人、大野伴睦、石井光次郎、松村謙三、藤山愛一郎が出馬したが、岸はいったん派閥を解散して大野からの約束履行の要求をはぐらかし、最後には池田に票をまわして流れを決めた。大野は寝業師として調整能力を発揮する名副総裁だったが、しょせんは「床の間に置く」には違和感が強い人物だったので、岸は巧みに約束から逃げたのである。(引用:歴代総理の通信簿 間違いだらけの首相選び 八幡和郎著)

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