Thursday, May 17, 2007

宗教を考える~宗教カルト④

平和の党は方便だった公明党
4月25日(2004年)、衆院統一補欠選挙の投開票が行われた。夏の参院選に向けた前哨戦として自民・民主・共産から各候補が立候補。その中でも埼玉8区は都市部に近いこともあって民主党が優位だと伝えられていた。しかし約5500票差で自民党候補が当選。他の選挙区でも自民党が勝つという結果となった。低投票率の中、公明党支持者の約6~9割が自民党候補に投票したという。昨年の衆院選挙の小選挙区でも、当選した自民党議員の8割が公明党の推薦・支持を受けていた。いまや公明党―創価学会が政権のキャスティング・ボートを握っているのだ。

利益誘導政治がゆきづまった現在、政権与党としての自民党の優位性はなくなった。支持基盤であった建設業界、農協、医師会などの組織票は離反・崩壊し、都市部だけでなく、地方でも自民党の政治基盤は喪失しつつある。そうした自民党が、これまでの一党支配を維持する盟友として選んだのが公明党である。自民党と組んで政権与党入りした公明党は、選挙の度に創価学会員を総動員し、自民党への選挙協力を行っている。1選挙区につき、2~3万票といわれる組織投票を行っているのだ。現在、多くの小選挙区で自民党と民主党の得票数は拮抗しているが、無党派層(反自民ないし非自民が多い)が投票に行かない低投票率の選挙の場合、公明党・創価学会票が上積みされて自民党候補が当選する結果となる

自民党に選挙協力する見返りとして、公明党は自公連立=政権与党としての地位を確約させ、それが現世利益につながると信者に説いている。これが今の日本の国家権力の構造になっているのだ。自公連立・小泉政権は、テロ特措法や有事関連法案・イラクへの自衛隊派遣など対米追随一辺倒の政策を続けている。このようなアメリカの属国化とも言えるような政策に対し、自民党内の加藤紘一、古賀誠などの保守本流派からは批判が出ている。それでも自民党が分裂しないのは、公明・学会票の支援によって政権与党であり続けられるからだ。

イラクで日本人3人が人質となり自衛隊撤退要求が出された際、公明党の神崎代表は「撤退拒否の政府方針を支持」すると即決で表明した。翌日の公明党対策本部の会合でも異論は全く出なかったという。ここにはかつて「平和の党」を掲げていた公明党の姿は微塵も見られない。創価学会の内部からはこうした公明党の「転身」に対する批判も出ている。しかし多くの学会員は、政権与党に留まることで、公明党が掲げてきた福祉政策が次々実現されていると錯認している。何のことはない。福祉という名の下での新しい利権構造に、公明党が組み込まれたということだ。公共事業などでの利権を守ることが、福祉と言い換えられるのである。だからイラク戦争への加担も平和のためということになる。国立戒壇建設などの元々の日蓮宗の教義は、池田大作によって改作されたのである。公明党・学会が掲げてきた「平和」というのは、権力に入るための方便だったわけだ。こうした「権力への意志」は、公明党の支持母体、創価学会の名誉会長・池田大作の言葉から明らかだ。

昨年(2003年)の衆院総選挙の結果に対して、池田大作は「偉大なる団結の大勝利」と評価し、「勝つことは楽しい。…仏法は勝負である。勝つか負けるか。勝負を決するために仏法はある。勝つために信心がある。真実の仏法を実践する者は、必ずや、社会で勝ち、人生で勝ち、あらゆる仏敵に勝ち抜くことができる。そして、見事に今世を勝ち飾れば、三世永遠に崩れぬ幸福境涯を、わが胸中に築いていくことができる」(03年11月17日付「聖教新聞」)と言っている。

仏法は勝負かよ。「真実の仏法」が人を押しのけてでも自分が勝てばいいというお教えだったとは、釈迦が聞いたら腰を抜かすだろう。「信教の自由」は「日本国憲法」でも保障されているが、池田大作の言葉には創価学会の教義で国家を一元的に支配しようという強欲があるだけだ。憲法で定めた政教分離の原則はどこにいったのだ。創価学会の最終的な目標が「広宣流布」(国民のほとんどが学会員となる状態)、「立正安国」(創価学会の教義を確立してこそ、確かな平和と民衆の安穏が得られる)であるならば、日本は一宗教に牛耳られるカルト国家にしかならないのだ。
(引用文献:2004年6月25日発行 『SENKI』 1148号3面)

「日本沈没まで、あと66日」

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