Thursday, April 05, 2007

ひとりごとⅥ⑲

東京都知事選 2007
石原 慎太郎(いしはら しんたろう、1932年9月30日- )氏は、日本の政治家、小説家。学歴は一橋大学法学部卒業(法学士)。自民党員。現東京都知事、元衆議院議員、元参議院議員。環境庁長官、運輸大臣を歴任。現同賞審査委員。戸塚ヨットスクールを支援する会会長。賞歴は芸術選奨文部大臣賞。第34回芥川賞、平林たいこ賞受賞。

新しい歴史教科書をつくる会に賛同するなど、右派・新保守主義的政治家の代表として知られる。日本の著名な歌手兼俳優の石原裕次郎の実兄という知名度、強い個性とリーダーシップというイメージから、1999年の東京都知事選では有力候補を押さえて大差で当選し、続く2003年の都知事選では有力な他候補が存在しなかったこともあり、史上最高の得票率を得て再選し、現在二期目である。

兵庫県神戸市須磨区生まれ。一橋大学在学中の1956年、『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞、文壇デビューを果たす。1968年に参議院議員に初当選、1972年には衆議院に鞍替え出馬し当選する(以後連続8回当選)。1975年、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬するも落選。その後1976年福田内閣で環境庁長官を、1987年竹下内閣で運輸大臣を歴任、1989年には自民党総裁選に立候補し、海部俊樹に敗れる。1995年、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、突如議員辞職を表明した。1999年、再度、都知事選に出馬。立候補を表明するのが有力候補中最も遅かったが、舛添要一・鳩山邦夫・明石康といった有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。

ジェンダーフリー問題を巡り、リベラル・左派勢力やフェミニストとは犬猿の仲で日常的に応酬し合っている。 女性蔑視の観点をうかがわせる「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です 」「きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」という発言をし、裁判に発展している。(いわゆるババァ発言事件

1999年9月に東京都知事として府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)を視察した後、記者会見で「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」と発言した。次いで「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」と発言意図を説明した。「人格あるのかね」については、即日「文学者としての表現」と弁明した。(朝日新聞1999年9月18日より)

「ニートなんて格好いいように聞こえるけど、みっともない。無気力・無能力な人間のことです。」「今、ニートなんて、ふざけたやつがほとんどだよ。」「フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね、私にいわせりゃ穀つぶしだ、こんなものは。」との見解を示している。田中良都議から、石原が(働いている)フリーターも穀つぶしと非難したことはワーキングプアに対しての無理解であるとの指摘を受け、「私の言葉を勝手に引用されまして歪曲されていますが、私が穀つぶしといったのは、これはフリーターじゃありませんよ。ニートのことはそう申しました。こういう歪曲した引用というのは非常に卑劣だと思います。」として過去の自身の発言とは異なる見解を示した。

石原は政界進出にあたり、自身の後見人的立場だった当時の産経新聞社主水野成夫を介して霊友会の支持を取りつけ、大量の組織票を獲得することに成功している。自らも霊友会の信者であり、自らの信仰を吐露する著作(「法華経を生きる」など)も書いており、霊友会の雑誌「あした21」には連載を持っている。小谷喜美霊友会初代会長を師として仰いでおり、大形市太郎霊友会現会長とは対談を行っている。また、2002年には霊友会の新年会では挨拶を行っている。

特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債(借金)は、バブル経済崩壊とその後の景気低迷の影響による都税収入の落ち込み、バブル期以来の臨海副都心開発の失敗などにより2006年度末に17兆円を突破しており、都民一人当たりの負債額は約140万円と共に全国最多、現在も増加し続けている。(東京都の借金時計)特別会計や監理団体の財政は厳しく、これまで都が運営してきた多くの施設の財団化、もしくは指定管理者制度の導入による民営化を進めている。

「何が贅沢かといえば、まず福祉」と主張して、石原都知事主導で福祉に関連する「福祉改革」(社会保障費の削減・合理化)が行われた。1999年から2004年までに以下の政策により福祉予算を661億円削減した。
・シルバーパス(敬老パス)の全面有料化
・寝たきり高齢者への老人福祉手当の段階的廃止
・障害者医療費助成の対象を縮小
・特別養護老人ホームへの補助を4年間で181億円(85%)削減
・難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外
・盲導犬の飼育代、盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止


2003年に都知事主導で東京都が策定した東京発金融改革を旗印に『資金調達に悩む中小企業を救済すること』を理念として新銀行東京を設立。都税1000億を投資したが、毎年大幅な赤字を出しているため、2006年9月までに累積赤字は456億円に膨らみ、投資された1000億円もの都税の半分近くがすでに消滅している。また、本来は中小企業を救済するはずだったが中小企業向け融資は1225億円で貸出金全体の約52%と、資金繰りに苦しむ中小企業の支援という設立目的が揺らいでおり、主に三男石原宏高の地盤の品川区と大田区の企業に融資していたことから身内の選挙対策ではないかと言われている。

「まったく新しい大学をつくる」という公約を掲げ、東京都立大学を改組し首都大学東京を開学。名称公募では東京都立大学が最多だったが、石原都知事の意向で名称が首都大学東京となった。都からの一方的なトップダウンの大学改組や雇用不安定化に対し大学教員側が反発、著名な教授などを含めた多数の教職員が大学を去り、他の有名大学へ移籍した。首都大に改編後の偏差値は急落している。

青島都政の政策を引き継ぎ、ディーゼル車への粒子状物質排出規制を首都圏の他の自治体と共同して行った。これに関連して、環境汚染の原因になるだけではなく脱税の温床となっている不正軽油の撲滅に強い意欲を注いでいる。

鈴木俊一元知事以来の第三セクターによるバブル崩壊後のお台場の臨海副都心開発計画は大赤字を出して行き詰まっていたが、石原知事は事業推進の立場に立っている。当選直後の1998年度には第三セクター三社に対して270億円の財政支援をおこなう計画を追認、さらにはビルの都による借り上げ支援や土地代の減免、収益事業の丸投げなどさまざまな支援策を継続した。その後も投資は継続され、「首都東京の活力と創造力を生み出す新しい重要な事業」として投資や土地の提供など就任後の7年間で2兆5000億円(2006年まで)を費やした。これに対しゼネコン・ハコモノ重視の土建屋行政という批判がある。2006年5月12日には東京テレポートセンター、東京臨海副都心建設、竹芝地域開発の3社の第三セクターは財政破たんし、最終的な負債総額は3668億円と確定した。

石原都知事は、中央区築地にある公設の日本を代表する卸売市場である築地市場を2012年度を目処に江東区豊洲地区へ移転させる方針を明らかにしている。しかし、予定地である東京ガスの工場跡地において、環境基準を超える毒物(鉛・ヒ素・六価クロム・シアン・水銀・ベンゼンの6種類が国の環境基準を超えており、発癌性物質であるベンゼンにいたっては国の基準の1500倍である)が検出されるなど土壌汚染が判明している。また、土壌を入れ替え、アスファルトで被覆する都の対策では不十分との指摘がある。関係者は「生鮮食品を扱う場所に移転するのは論外」とし、築地市場移転反対派の団体「市場を考える会」が中心となって、移転反対運動を行っている。石原都知事は「築地は古くて清潔でない。都民や消費者の利益を考えれば、市場を維持するわけにはいかない。ほかに適地はない」として移転計画を変更するつもりはないとし、移転後の築地の跡地は招致活動を行っている2016年東京オリンピックのメディアセンターとする構想を明らかにしている。

2006年11月、資料が入手できた15回の石原都知事の海外出張旅費の総経費が2億4000万円を超えることが明らかになった。海外出張の回数は1999年の就任から2006年までに19回と多く、その目的のほとんどが、オリンピック、マラソン、観光などで、石原都知事の個人的関心にもとづき計画されたものだった。

その他、トーキョーワンダーサイト、官官接待、現金2000万円受け取り疑惑など。

選挙公約(3期目)
・環境革命の続行
・子育て支援プログラムと中学3年生まで医療費ゼロ
・都立施設や都立小中高校の食事・給食に東京ブランドの食材導入推進
・神奈川県・千葉県・埼玉県の各知事と首都圏知事連合をつくって、道州制を実現
・2016年に東京オリンピックを招致
・高齢者の起業やNPO法人の活動を支援する機関を作る
・都庁の展望台や都の保有財産を有効利用して、歳入を増やす
・公立小中高校グラウンドの芝生化
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

湘南の鵠沼(くげぬま)近辺の住宅地を歩いて回ったことがある。見渡すとセンスのある洒落た家が点在し、その多くにはセキュリティーが入っている、そんな町。湘南と言えば、幾つかの映画を思い出す。湘南の森戸から茅ヶ崎・・・、こういった場所にはそのような家が多いのだろう。たしかに、歩いてゆける距離に海があるのだから、住むのに憧れる場所ではあると思う。ところで、この辺りにはどういった人達が住んでいるのだろうか。条件的に高級住宅地であることは間違いなく、きっと企業や官庁の、それなりのポジションにおられる方々なのだろう。町を歩いてゆくと、く錆びた門や鉄の柱などが目に留まる。海が近い分、風が年中吹き付けるのだから、腐食は仕方がないのだろう。

良くも悪くも、
繋がっているからね。

「日本沈没まで、あと108日」

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