Monday, February 26, 2007

宗教を考える~新興宗教③

【霊友会(れいゆうかい)】
創始者 久保角太郎と小谷喜美
崇拝対象 仏所護念の御本尊
沿革 創始者の一人、久保角太郎は、大正8年、中央工学校建築高等科に入学。この頃から法華経の研究に没頭し、”仏所護念会”を知る。久保は仏所護念会からさらに心霊現象へと関心を高め、中山の法華経寺を訪ねて法華行者と話し合っている時期に、若月チセという女性と知り合う。大正9年、久保はこの若月チセらと「霊の友会」を創始させた。同13年11月、「霊友会」と改名して、布教活動を開始する。同14年、久保の実兄で下宿屋を経営していた小谷安吉が15歳も年下の喜美を後妻に迎えた。ここから久保と喜美の教団布教の道係プレーが始まる。喜美は強烈な性格を持ち、なかなかの行動的な女性で、12歳のとき自ら小学校を中退し、女中奉公して働いた。貧乏な暮らしから脱出したいためだったという。久保は、のちの初代会長になる喜美に対し、人間の限界を超えるほどの荒行を強要した。たとえば、21日間、日に1合の水のほか一切の食事を与えないという強度な断食、水行など、あまりに過酷な荒行に、喜美は髪が抜け、肌着が血に染まるほどだったという。あまりのしごきに、喜美の実家が警察に訴えるということもあった。こうした荒行の経験を積んだ喜美は、布教活動にもすさまじいばかりのエネルギーを発揮する。2代会長の久保継成は、名門麻布中学、高校を経て、昭和31年に東大文学部印度哲学科に入学し、仏教学を専攻、42年に同大学院の博士課程を修了している。それから4年後の46年、初代会長・小谷喜美の死後を受けて、34歳の若さで霊友会の2代会長に就任した。同時に、「いんなあとりっぷ-人間の心にかえろう」キャンペーンを開始するのである。
特色 教えとして、霊界は現実の人間世界と表裏一体であり、しかも霊界が現世の災難、病気、貧乏な不幸を作る。つまり悪因縁によるものだ、と説く。だから、それら不幸から脱却するには、祖霊を供養しなければならない、と教えている。
組織 霊友会の本部「釈迦殿」は、2年間の工事期間を費やし、昭和50年10月に完成したもので、総工費は当時の金額で162億円、敷地面積は11,546平方㍍で、5,000人が収容できる釈迦殿大ホールがある。また、霊友会は政治団体「I・I・C」(インナートリップ・イデオローグリサーチ・センター)を所有している。I・I・Cに会費さえ納入すれば、どの党に属する政治家でも会員になることができる。  
本部所在地 東京都港区麻布台1-7-8 電話 03-5563-2500
関連年譜
 大正 9年     「霊の友会」を創始
 大正13年11月 「霊友会」へ改名
 昭和25年     闇ドル、金塊隠匿、及び脱税事件 
 昭和27年11月 宗教法人認証
 昭和28年     赤い羽根共同募金の横領事件
(引用文献:新宗教ガイドブック)

「日本沈没まで、あと146日」

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