Thursday, April 26, 2007

鎌倉新仏教①~浄土宗

鎌倉新仏教(かまくらしんぶっきょう)とは、鎌倉時代に浄土思想の普及や禅宗の伝来の影響によって新しく成立した仏教宗派の事。具体的には浄土宗(法然)・浄土真宗(親鸞)・臨済宗(栄西)・曹洞宗(道元)・時宗(一遍)・法華宗(日蓮宗)を指す(ただし、浄土宗の成立は厳密に言えば、平安時代末期の事である)。また、旧仏教の中にも新仏教に触発されて新しい動きが生まれた。華厳宗(けごんしゅう)の明恵(みょうえ)、凝然(ぎょうねん)、法相宗(ほっそうしゅう)の貞慶(じょうけい)、真言宗(しんごんしゅう)の覚鑁(かくばん)、あるいは真言律宗(しんごんりっしゅう)を開いた叡尊(えいそん)などである。これ等の動きを鎌倉旧仏教と呼ぶことがある。鎌倉時代は宗教が非常にダイナミックな動きを見せた時代である。

-仏教 基本教義-
縁起(えんぎ) 原意は、「因縁生起」の略と考えられ、「他との関係が縁となって生起すること」の意味で、関係の中の生起の意味である。
四諦(したい) 
・人生は苦であるという真理 【苦諦(くたい)】
・その苦の原因は人間の執着にあるという真理 【集諦(じったい)】
・この苦を滅した境地が悟りであるという真理 【滅諦(めったい)】
・その悟りに到達する方法は八正道であるという真理 【道諦(どうたい)】
前2者は流転の因果を示すものであり、後2者は悟りの因果を示すものである。
八正道(はっしょうどう)
正見 われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。
正思惟 財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる、人間の日常生活の否定であり、それを思惟することが正思惟である。この五欲の心の否定は、具体的には無瞋の思惟、無害の思惟である。いわば瞋恚の心や害心のすがたを、ありのままの姿で思惟し、これを捨てることを思惟するのである。自己本位にふるまう人間の行動や、独善的な人間の行為を、思惟によって明らかにして、これを否定するのである。
正語 妄語を離れ、綺語を離れ、両舌を離れ、悪口を離れることである。
正業 殺生を離れ、不与取を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れることをいう。
この二つは正思惟されたものの実践である。妄語・綺語・悪口・両舌を離れること、これは人格の破壊を斥けるものであり、殺生・偸盗・邪婬を離れることは人間人格の尊重である。
正命 まちがった生活を捨てて正しい生活を営むことであり、常に無明を滅する方向に動いてゆく生活である。したがって、それは人間の日常性に根差している価値を追求する生活を否定するものである。この点、「正命」はこのようにすべき生活として求められつつあるものである。
正精進 この「正命」の生活は、ひたすらな努力の中にのみ得られる。このひたむきな努力の生活、それが「正精進」である。「未生の悪、不善法の不生のために欲を生じ、勤め精進し、心を摂し努力する」「常に行じて退せざるを正精進という」というのは、これをいう。これが、やがて四正勤(ししょうごん)として、すでに起こった悪不善を断ずる努力、未来に起こる悪不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれるようになった。
正念 このような「正精進」に示される現前の事実的価値追求への否定の努力は、主として過去の集約として与えられた、身体的なものに対する否定である。このような立場から「身にありて身を観察して住し、熱心にして正しく理解し、精神を集中し、明瞭な心と精神集中と、専一なる心とをもって、如実に身体を知る」と説かれるのが「正念」である。
正定 現にあるものとしてでなく、あるべきものとしての「正命」が実現されるのは、身体における日常的なものが克服されることによってである。それが「身の観察であり、精神を集中して如実に知る」ことである限り、真に身体的なものの克服とはなりえないで、やはりイデア的であることを免れない。これを身体的なものとして、生活自身において克服するものそれが「正定」である。
このようにして、八正道は八聖道として人間完成への道となる。これを人間の実践として、中道であると説くのである。
三法印(さんぼういん) 仏教の教えを特徴づける三つの考え。仏教自身と他の教えとの区別を明らかにすると同時に、自身の特徴を示そうとして「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の三法印を説いている。
四法印(しほういん) 仏教の教えを特徴づける三つの考えである三法印に「一切皆苦印」を加えたものである。四法印とするのが『瑜伽師地論 』の四法嗢拕南説である。「一切諸行皆悉是苦」と説かれている。
諸行無常(しょぎょうむじょう) 現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。
諸法無我(しょぎょうむが) 有為法だけでなく、無為法を含めてすべての存在には、主体とも呼べる我(が)がないことをいう。諸行無常といわれるように、一切のものは時々刻々変化している。ところが我々は、変化を繰り返し続ける中に、変化しない何者かをとらえようとしたり、何者かが変化してゆくのだと考えようとする。その変化の主体を想定してそれを我(が)という。我とは「常一主宰」のものと言われる。常とは常住、一とは単独、主宰とは支配することである。ゆえに、この「我」は常住である単独者として何かを支配するものをいう。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 仏教用語であり、三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に違うことを示している。煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということ。諸行無常、諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。無常と無我とを自覚して、それによる生活を行うことこそ、煩悩をまったく寂滅することのできた安住の境地である。
一切皆苦(いっさいかいく) 阿毘達磨(アビダルマ)文献によれば、苦は「逼悩」の義と定義される。「圧迫して(○○○○○に)悩まされる」という意である。この苦には二つの用法がある。一つは楽や不苦不楽に対する苦であり、他は「一切皆苦」といわれるときの苦である。前者は日常的感覚における苦受であり、肉体的な身苦(苦)と精神的な心苦(憂)に分けられることもある。しかしながら、精神的苦痛が苦であることはいうまでもないが、楽もその壊れるときには苦となり、不苦不楽もすべては無常であって生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされ、これを苦苦・壊苦・行苦の三苦という。すなわち、どちらの立場にしても、苦ではないものはないわけで、一切皆苦というのは実にこの意である。

浄土宗(じょうどしゅう)は、法然上人が開祖である、浄土宗専修念仏を宗旨とする日本の仏教宗派の一つ。本尊は阿弥陀如来(舟後光立弥陀)。勢至丸(後の法然)は父の漆間時国の遺言通り僧侶になる事を誓う。比叡山に登る前、叔父の菩提寺という寺院に行った。そこの住職の観覚上人の下で勉学に励んだ。しかし、4年の歳月が過ぎ師僧の観覚上人から「お前に教える事はもう何もない、比叡山に行ってはどうか」と言われ、勢至丸は比叡山へわずか13歳(1145年)で行く事となる。その後、叡山根本中堂に於いて源光上人より学ぶ。また、源光上人が勉学を教えられなくなり、皇円阿闍梨の下で学ぶ。ここで勢至丸・15歳(1147年)、正式に得度する。勢至丸・18歳(1150年)の時、黒谷の別所に移り慈眼房叡空上人に師事して法然房源空(源光・叡空より一字ずつ名を貰った)と名のる。承安5年(1175年)43歳の時、善導大師の観無量寿経疏(観経疏)によって専修念仏に進み、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを弘めた。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされる。
その観経疏にある立教に至った文字は、『一心に専ら弥陀の名を称えいつでも何処でも時間の短い長いに関係なく常にこれを念頭に置き継続する事が往生への道である』

  一心専念弥陀名号
  行住坐臥不問時節久近
  念念不捨者是名正定之業
  順彼佛願故

-総本山-
・鎮西派
 華頂山知恩院
・西山派
 東山禅林寺(永観堂)(禅林寺派)
 粟生光明寺(西山浄土宗)
 京極誓願寺(深草派)

-鎮西七大本山-
三縁山増上寺(東京都)
紫雲山金戒光明寺(京都市)
天照山光明寺(鎌倉市)
百万遍知恩寺(京都市)
井上山善導寺(福岡市)
善光寺大本願(長野市)
善光寺(長野市
清浄華院(京都市)
(引用文献:ウィキペディア)

「日本沈没まで、あと87日」

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