アジアの中の日本⑥
信濃川朝鮮人虐殺事件(しなのがわ・ちょうせんじん・ぎゃくさつじけん)
信濃川(新潟県)の上流から朝鮮人の死体が次々と流れてくるという大正期に起きた怪事件。1922年(大正11年)7月、信越電力株式会社は信濃川の支流中津川上流に水力発電所の建設をはじめた(黒又ダムは、黒又川第一ダムの下流、破間川との合流点付近に建設された東北電力が管理するダム。 信濃川水系で最も古い時期に建設されたダムで、1926年に完成した)。集められた土工は1,000余名であったが、そのうち半数は朝鮮人であった。工事は「蛸部屋(たこべや)」と呼ばれる低劣狭隘(ていれつきょうあい)な共同住居に労働者を拘束する形で、全くの人海戦術がとられたのであったが、勤務態度が怠惰(たいだ)であったり、職場を放棄して逃亡しようと試みて失敗した者らが、監督者らに陰惨な仕打ちを受け、遂には絶命した者の虐殺体が遺棄され流されてきたのである。工事開始以来連日流れてきたため新潟県内流域などで大騒ぎとなり、これを東京の読売新聞が同年7月29日、おどろおどろしい見出しとともに報じたので広く巷間(こうかん)に知れ渡るようになった。犠牲者の総数や、そのうちどれほどが朝鮮人であったか等肝心な部分は今日なお判然としない。しかし当時東京にあった朝鮮人朴烈(ぼくれつ)らは、この怪事件の裏に横たわる、朝鮮人労働者に対する根深い差別意識に憤怒(ふんど)し、ただちに同年9月7日、神田美土代町キリスト教青年会館(YMCA)で「信濃川虐殺問題大演説会」を開催し、事の真相を明らかにするよう要求した。先に社会主義者堺利彦、山川均らによって創刊された政治誌『前衛』もこれを大きく取り上げ、大阪で同年12月「朝鮮人労働者同盟」が発足するや、日本総同盟も朝鮮人による労働運動に目を向け始め、怪事件をきっかけとして、日本の社会主義と朝鮮の労働運動がここにはじめて接近したのである。
(引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
沖縄戦末期と沖縄住民の状況(虐殺肯定派の意見)
沖縄戦末期になると、現場の日本兵にとって民間人の保護は現実的に受け入れられない状況であった。逆に日本兵自身が安全な壕内に避難するため、「我々はお国のために闘っているのだ」という口実によって先に避難していた住民を追い出す者さえも一部いた(ひめゆりの塔で知られる陸軍病院伊原第三外科壕や他の第一・第二外科壕、本部壕なども「追い出し壕」とされている)。ガマの中で泣き止まない赤ん坊を黙らせるために殺害した事例も報告されている。また、民間人に対するアメリカ軍の人道的扱いを期待した日本兵が、意図的に民間人の避難先に潜り込んでゲリラ活動を展開したという話も残っており、それが米軍を「馬乗り攻撃」に踏みきらせたとも言われている。その一方で、日本軍は沖縄住民のスパイ活動を警戒して方言の使用禁止を命じ、方言を使った住民をスパイ容疑で処刑したこともあったという(実際にアメリカ軍は沖縄2世日系人を使って住民撹乱工作を実施しており、日本軍はその対処に苦慮していた)。また米軍から住民に配給された食糧を狙って飢えた敗残兵が襲撃を行うなど、軍民の信頼関係は著しく損なわれた。
生存者の中には「日本兵のほうがアメリカ兵より怖かった」「『捕まったら強姦されるか殺される』と聞いていたのに優しくしてもらえて驚いた」などと証言する者が多くいる。南部に現存する「轟(とどろき)の壕(ごう)」では、「泣き声で敵に発見される」という理由で壕内で幼児を虐殺するなどをしたうえ、投降を警戒した兵士が住民を奥に追いやって監視をしたため大量の餓死者が発生し、また危険が迫ると逆に住民を入口付近において盾にした挙げ句馬乗り攻撃で多数の犠牲が出た。そのため、投降した住民がアメリカ軍に「日本の兵隊を生かしますか?」と問われて「殺せ!」と答えたという。読谷村では、山中に潜んでいた日本軍がアメリカ軍保護下の住民を連れ出して虐殺するという事件があったという。 アメリカ軍によって保護された住民が収容された収容所や野戦病院も決して万全の状態ではなく、「飢えと負傷とマラリアで老人や子供が続々と死んでいった」という。また、終戦後のアメリカ軍も日本人を軽く扱い、アメリカ兵による強姦や殺人などの事件が日本へ沖縄領土が返還されるまで多数起きており、沖縄領土が返還されてからはアメリカ兵による事件が少なくはなったものの後を絶たないのが現状である。このように、結果として沖縄戦は民間人に甚大な被害をもたらす悲惨きわまりないものとなり、また「友軍」と呼んで期待していた日本軍に捨て石にされたという想いもあって、この遺恨は今日も続いている。 苦戦を強いられた日本軍が住民らに自決することを勧め、実際に手榴弾により集団で自殺したり、家族同士がカマなどで殺しあったりする悲劇も生じた(チビチリガマでの惨劇がよく知られている)。軍の行為やそれまでの教育が間接的な原因となっていたとの指摘もある。
(引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
今回のボヤッキー 「破防法ならぬ、デスラー砲用意!美しい国、日本っ!!」
Friday, April 20, 2007
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