鎌倉新仏教③~臨済宗
臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)のひとつで、唐の臨済義玄(?-867年)を宗祖とする。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。公案に参究することにより見性しようとする看話禅(かんなぜん)で、ただ座禅する曹洞宗の黙照禅とはこの点が異なる。
宗門では、ゴータマ・シッダッタの教え(悟り)を直接に受け継いだマハーカーシャパ(迦葉)から28代目のボーディダルマ(菩提達磨)を得てインドから中国に伝えられた、ということになっている。その後、禅宗の最高峰を極めた臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西らによって、鎌倉時代に日本に伝えられている。日本の臨済宗は、日本の禅の宗派のひとつである。師から弟子への悟りの伝達(法嗣、はっす)を重んじる。釈迦を本師釈迦如来大和尚と、ボーディダルマを初祖菩提達磨大師、臨済を宗祖臨済大師と呼ぶ。同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられた。その後時代を下り、江戸時代に白隠禅師によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅ともいわれている。
一般に禅宗は知識ではなく、悟りを重んじる。禅宗における悟りとは、生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付くことを言う。このため、唐代の祖師たちは苦闘を重ねながら悟ってきたのである。しかし宋代以降、悟りを得るための多くの技法が考案されてきた。坐禅(瞑想とは異なる)、公案(知的な理解を超えた話を理解すること)、読経(お教を読むこと)、作務(普段の作業)などの修行を既に悟りを得た禅師の元ですることで、悟りが得られるようにメソッド化されてきた。悟りは、ロウソクの火が、消えているロウソクに伝わるように(伝灯)、師から弟子へと伝わるとされる。それは言葉(ロゴス)による伝達ではない。それゆえに正しい禅師を選ぶことが肝心とされる。それは悟りを得ている事だけではなく、自分の個性に適合している禅師を選ぶという意味もある。しかしながら、悟りを得た禅師が指導して悟らせるのではない。師を持たずに悟りを得たゴータマ・シッダッタ(仏陀、釈尊)を持ち出すまでもなく、唐代の祖師たちは、師匠から教わって悟ったのではないのである。悟りを言葉により定義することは出来ないが、言葉を始めとしていろいろな方法で悟りの境地を表現することはできる。そのため特に日本に伝わった後、詩や絵画を始めとした芸術的な表現の上に悟りが表現されており、その香りを味わうことができる。芸術以外にも、茶の湯や生け花を始めとした振舞いなどにも表現されており、振舞いをたどることによって、悟りの世界を味わうという手段も生まれている。それは知的な理解ではない。
宋代以降公案体系がまとめられ、擬似的かもしれないが更に多くの悟りを起こすことを可能にした。公案とは、主に師と弟子の間の会話で構成され、弟子が悟りを得る瞬間の事実を伝える話が多い。また公案とは論理的、知的な理解を受け付ける事が出来ない、論理を超えた話であり、考えることではなく、公案になり切ることを通してのみ知ることができる。これらの公案を弟子を導く手順としてまとめたのが公案体系であり、500から1900の公案により構成される。公案体系は師の家風によって異なる。
・「犬に仏性はありますか?」「無(む)」
この背景には、仏教では誰でも知っている「全ての生き物は仏性を持っている」という知識がある。
・「片手の拍手の音」
弟子は片手でする拍手の音を聞いてそれを師匠に示さなければならない。知的な理解では片手では拍手はできず音はしない。
-建仁寺派-
・建仁寺(京都府)
-東福寺派-
・東福寺(京都府)
-建長寺派-
・建長寺(神奈川県鎌倉市)
-円覚寺派-
・円覚寺(神奈川県鎌倉市)
-南禅寺派-
・南禅寺(京都府)
-国泰寺派-
・国泰寺(富山県高岡市)
・全生庵(東京都台東区)
・薬勝寺(富山県砺波市)
-大徳寺派-
・大徳寺(京都府)
-向嶽寺派-
・向嶽寺(山梨県塩山市)
-妙心寺派-
・妙心寺(京都府)
・退蔵院(京都府)
・瑞巌寺(宮城県松島町)
-天竜寺派-
・天竜寺(京都府)
-永源寺派-
・永源寺(滋賀県東近江市)
-方広寺派-
・方広寺(静岡県引佐町)
-相国寺派-
・相国寺(京都府)
-佛通寺派-
・佛通寺(広島県三原市)
(引用文献:ウィキペディア)
「日本沈没まで、あと85日」
Saturday, April 28, 2007
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