Friday, December 29, 2006

ひとりごとⅢ⑨

昨日の日経、「マンション 7%が強度不足の疑い~×□○・東京工業大学教授の話 
構造計算書の誤りと強度不足は建築士の能力不足と確認審査のチェックの甘さの表れだ。これまでの体制ではあり得ると思っていた。(前後省略)」

見て見ぬ振りとは、こういうことも含まれるのではないだろうか。私が思うに、大学教授というのは学生に対しては一人の教育者であり、またその道においては一人の学者、専門家であるはずだ。そういった立場上、強度不足の可能性があると判断、またはその疑念を抱(いだ)いた時点で関係省庁等に速(すみ)やかに助言するべきではなかったのか。いろいろな人の知恵が集まってこそ良い「ものづくり」ができ、人を幸せにできるのではないだろうか。

昨日の日経、「国立大 不正、厳しく対処~国立大学は2004年に法人化。優秀な研究者や優れた研究に国の研究費が手厚く配分されるようになる一方、社会に対する責任も重くなった。論文捏造(ろんぶんねつぞう)や実験データの改ざんは、税金の不正利用に直結。教員の不祥事(ふしょうじ)を甘い学内処分にとどめれば大学のイメージを損なうだけではなく、研究費を減らされるなど基盤が揺(ゆ)らぎかねない。(前後省略)」

大学に支給される国の研究費について、税金が遣(つか)われる点と教育の現場であるという点で、その責任の重さはここからではなく、最初から感じなければならなかったはずである。本来ならそれを監視していなければならないはずの政治家や官僚が一緒になって競(きそ)うように税金を無駄遣いしているのだからお手上げである。その点から民間によるチェック体制を考えないといけないのかもしれない。欲深き大学教授や政治家は京都・清水寺での修行が必修だ。話を戻して、この大学への研究費は研究の成果を厳しく精査した上での後払いにするべきである。研究の過程をチェックする機能が無いのだから、研究の成果そのもので評価するしかないだろう。繰り返すが、この原資は税金や国債発行で得た資金である。

今日の日経『いじめ「逃げてもいい」 フリースクールに救い~いじめからの救いを「学校外」に求めた子どもたちがいる。陰湿(いんしつ)な言葉の暴力が横行(おうこう)した教室の闇(やみ)や信頼できない先生。学校に背を向けざるを得ない子どもが「居場所」として向かった先のひとつはフリースクールだった。「絶望から抜け出すためには逃げてもいい」「学校だけが道じゃない」。自(みずか)らの経験から、苦しんでいる仲間にメッセージを送る。』

私も長く虐(いじ)められたから気持ちは良く解る。でも、私の時代よりも今の時代の方がより悪質なことは想像がつく。しかし、虐めの為に心が病(や)んでしまったり、学校の勉強が遅れてしまうことは何としても避けたい。このフリースクールは一時的な避難所(ひなんじょ)としては十分意味あるものと思うが、先を考えると何かもっと他に手はないかと考える。勉強さえまともにできなくなるような虐めに苦しむ子どもがどれくらい居るのかを市区町村・学年別で知りたい。もし、それなりの人数が集まるようであれば、通学が大変かもしれないが、市区町村・学年ごとに専門教室を作り、そこで正規のカリキュラムに沿った授業を受けられるようにしてはどうだろうか。傷ついた心のケアや今後の虐めに対する心構えも教える。これまでの虐めの手口を聞いて、その予防線を張ることも一つの手かもしれない。悩んだり泣いたりすることはあっても、子どもの頃の思い出は楽しいものだったと、そう思えるようにさせてやりたいと願うばかりである。

来年は亥(いのしし)年。「田・作物の神、無病息災(むびょうそくさい)※1」だそうで、十二支(じゅうにし)の一番最後の年となります。また、社会全般を見ても、いろいろな意味で大きな一年になりそうです。「終わり良ければすべて良し」

※1無病息災:病気をしないで健康でいること

皆様にとりまして、来たる年が穏(おだ)やかで、恵み多き年でありますよう、心よりお祈り致します。

ちなみに私は、どのような惑星にも惑(まど)わされることなく、心の趣(おもむ)くまま、「Face to Face」で過ごして参りたいと思います。来年も良かったら読んでやってください。「4946日経」もよろしく♪(⑩円暮れw)

それでは、良いお年を。

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