Sunday, August 12, 2007

ひとりごとΖΖ⑩

週刊誌報道で、高野連が事実調査へ
日本高野連は7日、大阪市内で全国理事会を開き、高野連の幹部が地位を利用して利権を得ていると一部週刊誌に報じられている問題について、正副会長会議で対応することを決めた。中心として調査に当たる新妻義輔副会長は「個人が対象にされているが、高野連を批判するものであり、組織として取り組む。これまでの記事で事実無根の点はある。毅然(きぜん)と筋を通したい」と話した。新妻副会長が弁護士とともにヒアリングなどの事実調査を行い、出版社に対する抗議、訂正の要求や法的措置を取るかどうかも検討する。(了)【時事通信】

高野連(日本高等学校野球連盟)
財団法人日本高等学校野球連盟とは、日本における高校野球の統轄組織で47都道府県の高等学校野球連盟を組織している。財団法人全日本大学野球連盟とともに上部組織として財団法人日本学生野球協会を構成している。略称は日本高野連(にほんこうやれん)または高野連(こうやれん)。
事務所:大阪市西区江戸堀1-22-25 中澤佐伯記念野球会館内
略史:戦前に大阪朝日新聞社によって実施されていた全国中等学校優勝野球大会を運営する目的で1946年に結成された全国中等学校野球連盟が母体となっている。第二次世界大戦終結によって、1947年に学制改革が実施され、中等学校が高等学校へ改組されると全国高等学校野球連盟と改称した。さらに1963年には文部省から財団法人として認可され、同時に現在の名称へ改称した。
【引用:ウィキペディア】

「節目の大会」と脇村会長 全国高校野球選手権大会
第89回全国高校野球選手権大会は8日、兵庫県西宮市の甲子園球場で開幕、スポーツ特待制度問題に揺れる中、49代表校が勢ぞろいし、球児の夏がスタートした。青空の下、開会式は午前9時から始まった。昨年初優勝を果たし、今夏は西東京大会で敗れた早実を先頭に、駒大岩見沢(北北海道)、史上初の4年連続決勝進出を目指す駒大苫小牧(南北海道)と北から南の順に行進した。49校中、特待制度の違反申告校は25校。日本高野連の脇村春夫会長はあいさつで特待生問題に触れ「高校野球のあり方を考える上で大切な節目の大会となるでしょう」と述べた。【東京新聞】

大垣日大、創価が2回戦へ・高校野球第4日
第89回全国高校野球選手権大会第4日は11日、甲子園球場で1回戦を行い、今春の選抜大会準優勝の大垣日大(岐阜)と創価(西東京)が2回戦へ進んだ。大垣日大は8回に箕浦の適時打で1点を勝ち越し、金足農(秋田)に2―1で競り勝った。秋田勢は10年連続で初戦敗退。創価は1回に相手投手の制球難を突いて3点を先制。左腕の勘米良が愛工大名電(愛知)の反撃を1点に抑えて3―1で逃げ切った。東京勢は夏通算140勝目。=以下略
【日本経済新聞】

日本学生野球憲章
われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰(たいだ)◆1と放縦(ほうじゅう)◆2とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕(おご)ら◆3ず非運にも屈(くっ)せぬ明朗強靭(めいろうきょうじん)◆4◆5な情意(じょうい)◆6を涵養(かんよう)◆7する事、いかなる艱難(かんなん)◆8をも凌(しの)ぎ◆9うる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。この理念を想望してわれらここに憲章を定める。=以下、条文部分は省略

◆1怠惰:なすべきこともせず、なまけるさま。(反)勤勉。 ◆2放縦:勝手きままなさま。 ◆3驕る:人を見下げる。わがままにふるまう。 ◆4明朗:明るくてほがらかなさま。 ◆5強靭:強くてねばりのあるさま。 ◆6情意:感情と意思。こころもち。 ◆7涵養:自然に心にしみ込むように、養っていくこと。 ◆8艱難:苦しみ。 ◆9凌ぐ:たえしのぶ。のりきる。
  
日本学生野球憲章全条文 ↓ 
http://www.jhbf.or.jp/rule/charter/index.html

日本テレビ放送網 【9404】
株主名
(株)読売新聞グループ本社、読売テレビ放送、読売新聞東京本社、(学)帝京大学、名古屋テレビ放送、よみうりランド
役員
(代表取締役)氏家齊一郎、(代取)間部耕苹、(代取)細川知正、(代取)久保伸太郎、(取締役)舛方勝宏、(取)島田洋一、(取)三浦姫、(取)室川治久、(取)田村信一、(取)弘中喜通、(取)正力亨、(取)渡邉恒雄
【引用:会社四季報】 

太平洋戦争当時の野球は一体どうだったのだろうか。そして、戦前と戦後の野球にはどういった変化があったのだろうか。戦時中はと言うと、おそらくは野球などできる状況ではなかったはずである。野球選手の中には徴兵によって戦場へと駆り出され、その後グローブやバットを再びその手に握ることなく戦場で散っていった者も少なからずいたのではないか。ワールドカップやオリンピックも自国や多国間において平和が保たれているからこそ、それらを行うことが可能なのではないか。また、今の世の中においてはビジネス抜きの物事など成り立たないのかもしれない。しかし、スポーツの精神を蔑(ないがし)ろにしてまでやるべきことなのか。スタジアムや競技場へと足を運ぶのは、自身が好きな選手やチームまたは国を応援したいといった気持ちのほかに、プロ意識を強くもった各選手らの素晴らしいプレーや息を呑むほどの真剣勝負を間近で観たい、その空気を感じたいといった期待もあるのではないか。私からしてみれば、所謂(いわゆる)「メイク・ドラマ」など要らない。ただ、そこにプロとしての「真剣」な姿勢、そして素晴らしいと思えるプレーを観たいのである。しかし、残念ながら野球は観なくなった。特に高校野球やその延長としての大学野球。そう、去年の夏の高校野球決勝を観てから・・・。それが本当の意味での教育に、そして先々の国益となるのか。もう野球など止めてしまいなさい、と私は思ったのである。

今夏の選手宣誓 
「・・・謙虚な気持ちで白球を追い駆けます・・・」 (群馬県・前橋商主将)

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