Thursday, September 28, 2006

宗教を考える~仏教②

ブッダは神の子でもなければ、天的な存在の使者でもない。ブッダは生死の中で苦悩する人々を救済しようとする使命感をもって教えを説いたのであるが、それは神の命令でもないし、霊的な存在のお告げによるものでもない。ブッダの救済活動はブッダ自らの慈悲の心によるものである。

仏教においては、一般に経典とはブッダの悟りの体験を文字で表現したものと見なされ、経典の背後にあるブッダの悟りこそ、仏教を学び実践するものの直接目指すべきものとされるのである。

仏教は様々な地に伝えられて発展し、多くの学派・宗派を生じた。従って、その教義も多岐にわたり、一概に論じることは難しいが、開創者であるブッダの主張の中に後世発展していく仏教思想の根本がおおよそ示されているということができる。つまり、最初期仏教から日本仏教まで共通している考え方が仏教の基本であると見なければならないのである。法印とは仏教のしるしという意味で、一切の存在を「苦」であり(一切皆苦)、「無常※1」であり(諸行無常)、「無我※2」である(諸法無我)と見ることである。仏教はこの「苦」の原因を追求し、それが人間の欲望に基づくことを明らかにし、どのようにしたら欲望を滅することができるかを説き、それが完全に滅した状態こそ人々が目標として励むべきことと説いた。※1無常:あらゆるものは生滅・流転し、永遠に変わらないものはないということ ※2無我:実体性をもたないこと
(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

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