Wednesday, September 27, 2006

宗教を考える~仏教①

遠い昔から続く、宗教や思想の違いによる無意味とも思える争いが今も絶えない。
ところで、私は無神論者である。しかし、別に宗教を否定するわけではない。
そう言えば、学校で宗教に関する教育を深く受けた記憶がない。
それはただ、授業を聞いていなかっただけかもしれないが(苦笑)
例えば、イスラム教とは何か。日本国民で直ぐ答えられる人はそうはいないだろう。
これは仏教やキリスト教についても同じかと思われる。
というわけで、宗教というものを少しでも知ろうと思っている。
まず、一番身近な仏教から・・・
(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

仏教はゴータマ・シッダールタがブッダ(覚者)となったときに始まる。開祖(仏)・教え(法)・教団(僧)が完成したとするならば、ブッダガヤーの菩提樹※(ぼだいじゅ)のもとで「覚者」となった釈尊(釈迦の尊称)ヴァーラーナシーの鹿野苑(ろくやおん)に行って五人の修行者が弟子となって最初の教団(サンガ)が形成されたとき、仏教が成立したことになるであろう。
※菩提樹:釈迦がその下で悟りを啓(ひら)いたという木

ブッダが体得した真理は「縁起(えんぎ)」と呼ばれるものであり、宇宙を貫く普遍的な理法である。ブッダが神の声を聞いたのでも霊的な存在の啓示を受けたのでもなく、自らの禅定※(ぜんじょう)に基づく力によって宇宙の真理を自覚したという点が仏教の最大の特徴であると言って良いであろう。
※禅定:宗教的な瞑想

ブッダの体験はいわゆる神秘体験ではなく、まさしく「悟り」と言われる宗教体験であった。人間ゴータマは禅定によってこの「悟り」に達したとき、ブッダとなったのである。「縁起」という真理は、ブッダが世に生まれようが生まれまいが真理として不変であると仏教は説く。
しかし、実際的にはその真理はブッダによって初めて世に知らしめられたのであり、ブッダの偉大さによって真理が世の人々のものになったということから、後世ブッダは超人化され、絶対視され、ついに大乗仏教においては真理そのもの(法身:ほっしん)とみなされるようになり、全知者、絶対的な救済者 としての信仰の対象とされるようになった。

この時代と今の時代とでは明らかに違う。
今の時代に全知者など存在するわけがない。

まあ、読み進めてみることにしよう。

No comments: