Thursday, September 28, 2006

グローバルなコミュニケーション能力と新カリキュラム

<伊吹文科相>英語必修に慎重な考え示す [ 09月27日 21時43分 ] ~毎日新聞
次期学習指導要領に盛り込まれる見通しの小学校5年生以上の英語必修化について、伊吹文明文部科学相は27日、「必須化する必要は全くない。まず美しい日本語が書けないのに、外国の言葉をやってもダメ」と必修化に慎重な考えを示した。文科省が実施した市民からの意見募集でも必修化に消極的な意見が約4割を占めており、今後論議を呼びそうだ。伊吹文科相は、英語教育よりも最低限の素養や学力を身につけさせることが先決だという認識を示した。さらに中央教育審議会が英語必修化を答申した場合について、「中教審のお考えを入れるか入れないかは、私が判断をしなければいけない」と述べた。

10年後、20年後の日本は果たしてどうなっているのだろうか。現在でもこれだけグローバル化が進み、日本人が海外の国々へ、海外の人々が日本へと、人が行き交うようになった。日本人が海外に行って一番苦労するのは言葉の壁だろう。仕事での海外赴任であったり、スポーツ選手であったり、海外のボランティアや人道支援に参加する人など様々だ。コミュニケーションはほぼ言語による。そして、最も多くの国で話されている言語が英語であることは誰でも知っていること。されど、外国語を一から学ぶのは大変である。学校での英語の教え方には多少なりとも問題があると思う。もちろん母国語も大事だが、教育のニーズは昔とは明らかに違うはずだ。今回のように英語だけを取り上げるのではなく、ひとりの人間が大人になって活躍する際に備わっていた方が良いと思われるものを考えるべきではないか。今の美術や音楽は小中高の12年間も要らないのではないかと思う。それぞれの興味や適性を見る上で体験させ、基本となる要素以外はその後本人の意思により選択制にする方が良いのかもしれない。よっぽど家庭科を深く学ぶようにした方が良い。栄養学であるとか、調理実習など、今で云う食育である。その他に洗濯や掃除など、生活の仕方を学ぶ。人々の日々の生活の中に学ぶことの必要性を感じるのが理想だ。そして、そこで新しいニーズをも発見するかもしれない。教育に携わる者たちは、常に柔軟な考えを持ち、できるだけ多くの声を聞いて、教育カリキュラム全体を見直すべきである。

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