Saturday, September 30, 2006

札幌2歳ステークス(GⅢ)②

〈レース結果〉
 1着 8 ナムラマース 牡2 54.0kg 藤岡佑介 1:49.7
 2着 4 アドマイヤヘッド 牡2 54.0kg 岩田康誠 1/2馬身
 3着 9 イクスキューズ 牝2 54.0kg 北村宏司 ハナ

〈配当〉
 単勝 08 220円
 複勝 08 110円 04 250円 09 130円
 馬連 04-08 1,630円
 馬単 08-04 2,390円
 3連複 04-08-09 1,360円
 3連単 08-04-09 8,430円


札幌2歳ステークス(GⅢ)

何だか札幌の馬券は買う気が起きない。何故だろうか。
きっと当てさせてくれないからだ(笑)八百屋さんって呼ぼうかな(笑笑)

人気のナムラマースはここまで6戦して【2,3,0,1】と堅実だが、この調子もいずれ止まる。使い過ぎも否めない。それがいつなのか。ここで軸にするか否かで重要だ。
父チーフベアハート、母父フレンチグローリーからして平坦向きで、古馬になってからもローカルの中距離重賞で活躍できる馬だろうと思う。だから、この好調振りも暮れの朝日フューチュリティS(GⅠ)くらいまでと予想し、現時点での完成度からして、このレースにおいては連軸に。
もう一頭の人気馬は藤沢厩舎の牝馬イクスキューズ。新馬、クローバー賞と2連勝、馬群から抜け出す際の切れが凄い。もし、暮れのジュベナイルフィリーズ(GⅠ)に出てくるようならば重い印は外せないだろう。が、このレースの過去10年、牝馬での優勝馬は出ていなく、あっても2着まで。何だか3着のような気がする。あとは演出家次第か(笑)
その他にアドマイヤヘッド、ガルヴァニック、クレバードラゴン、ニシノプライド、ビービーガルダン、フサイチオフトラ、マイネルビジューの7頭が連下候補、なかでもガルヴァニックに注目してみたい。この馬、父はアグネスタキオン、母父はニジンスキー。その半姉のポンデローザは1200~1400mで活躍した馬で、父はサンデーサイレンス。サンデーサイレンス×ニジンスキー系は短距離を得意とする馬が多いように思う。そのサンデーサイレンスの仔、アグネスタキオンとの配合で距離に融通性が出るのではないかと期待する。前走の新馬戦では武豊が騎乗、1200m戦で出遅れたにも拘らず勝ったところ、匂います。

 ◎ナムラマース
 ○ガルヴァニック
 ▲アドマイヤヘッド
 △クレバードラゴン
 △ニシノプライド
 △ビービーガルダン
 △フサイチオフトラ
 △マイネルビジュー
 注イクスキューズ

Thursday, September 28, 2006

宗教を考える~仏教②

ブッダは神の子でもなければ、天的な存在の使者でもない。ブッダは生死の中で苦悩する人々を救済しようとする使命感をもって教えを説いたのであるが、それは神の命令でもないし、霊的な存在のお告げによるものでもない。ブッダの救済活動はブッダ自らの慈悲の心によるものである。

仏教においては、一般に経典とはブッダの悟りの体験を文字で表現したものと見なされ、経典の背後にあるブッダの悟りこそ、仏教を学び実践するものの直接目指すべきものとされるのである。

仏教は様々な地に伝えられて発展し、多くの学派・宗派を生じた。従って、その教義も多岐にわたり、一概に論じることは難しいが、開創者であるブッダの主張の中に後世発展していく仏教思想の根本がおおよそ示されているということができる。つまり、最初期仏教から日本仏教まで共通している考え方が仏教の基本であると見なければならないのである。法印とは仏教のしるしという意味で、一切の存在を「苦」であり(一切皆苦)、「無常※1」であり(諸行無常)、「無我※2」である(諸法無我)と見ることである。仏教はこの「苦」の原因を追求し、それが人間の欲望に基づくことを明らかにし、どのようにしたら欲望を滅することができるかを説き、それが完全に滅した状態こそ人々が目標として励むべきことと説いた。※1無常:あらゆるものは生滅・流転し、永遠に変わらないものはないということ ※2無我:実体性をもたないこと
(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

グローバルなコミュニケーション能力と新カリキュラム

<伊吹文科相>英語必修に慎重な考え示す [ 09月27日 21時43分 ] ~毎日新聞
次期学習指導要領に盛り込まれる見通しの小学校5年生以上の英語必修化について、伊吹文明文部科学相は27日、「必須化する必要は全くない。まず美しい日本語が書けないのに、外国の言葉をやってもダメ」と必修化に慎重な考えを示した。文科省が実施した市民からの意見募集でも必修化に消極的な意見が約4割を占めており、今後論議を呼びそうだ。伊吹文科相は、英語教育よりも最低限の素養や学力を身につけさせることが先決だという認識を示した。さらに中央教育審議会が英語必修化を答申した場合について、「中教審のお考えを入れるか入れないかは、私が判断をしなければいけない」と述べた。

10年後、20年後の日本は果たしてどうなっているのだろうか。現在でもこれだけグローバル化が進み、日本人が海外の国々へ、海外の人々が日本へと、人が行き交うようになった。日本人が海外に行って一番苦労するのは言葉の壁だろう。仕事での海外赴任であったり、スポーツ選手であったり、海外のボランティアや人道支援に参加する人など様々だ。コミュニケーションはほぼ言語による。そして、最も多くの国で話されている言語が英語であることは誰でも知っていること。されど、外国語を一から学ぶのは大変である。学校での英語の教え方には多少なりとも問題があると思う。もちろん母国語も大事だが、教育のニーズは昔とは明らかに違うはずだ。今回のように英語だけを取り上げるのではなく、ひとりの人間が大人になって活躍する際に備わっていた方が良いと思われるものを考えるべきではないか。今の美術や音楽は小中高の12年間も要らないのではないかと思う。それぞれの興味や適性を見る上で体験させ、基本となる要素以外はその後本人の意思により選択制にする方が良いのかもしれない。よっぽど家庭科を深く学ぶようにした方が良い。栄養学であるとか、調理実習など、今で云う食育である。その他に洗濯や掃除など、生活の仕方を学ぶ。人々の日々の生活の中に学ぶことの必要性を感じるのが理想だ。そして、そこで新しいニーズをも発見するかもしれない。教育に携わる者たちは、常に柔軟な考えを持ち、できるだけ多くの声を聞いて、教育カリキュラム全体を見直すべきである。

Wednesday, September 27, 2006

宗教を考える~仏教①

遠い昔から続く、宗教や思想の違いによる無意味とも思える争いが今も絶えない。
ところで、私は無神論者である。しかし、別に宗教を否定するわけではない。
そう言えば、学校で宗教に関する教育を深く受けた記憶がない。
それはただ、授業を聞いていなかっただけかもしれないが(苦笑)
例えば、イスラム教とは何か。日本国民で直ぐ答えられる人はそうはいないだろう。
これは仏教やキリスト教についても同じかと思われる。
というわけで、宗教というものを少しでも知ろうと思っている。
まず、一番身近な仏教から・・・
(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)

仏教はゴータマ・シッダールタがブッダ(覚者)となったときに始まる。開祖(仏)・教え(法)・教団(僧)が完成したとするならば、ブッダガヤーの菩提樹※(ぼだいじゅ)のもとで「覚者」となった釈尊(釈迦の尊称)ヴァーラーナシーの鹿野苑(ろくやおん)に行って五人の修行者が弟子となって最初の教団(サンガ)が形成されたとき、仏教が成立したことになるであろう。
※菩提樹:釈迦がその下で悟りを啓(ひら)いたという木

ブッダが体得した真理は「縁起(えんぎ)」と呼ばれるものであり、宇宙を貫く普遍的な理法である。ブッダが神の声を聞いたのでも霊的な存在の啓示を受けたのでもなく、自らの禅定※(ぜんじょう)に基づく力によって宇宙の真理を自覚したという点が仏教の最大の特徴であると言って良いであろう。
※禅定:宗教的な瞑想

ブッダの体験はいわゆる神秘体験ではなく、まさしく「悟り」と言われる宗教体験であった。人間ゴータマは禅定によってこの「悟り」に達したとき、ブッダとなったのである。「縁起」という真理は、ブッダが世に生まれようが生まれまいが真理として不変であると仏教は説く。
しかし、実際的にはその真理はブッダによって初めて世に知らしめられたのであり、ブッダの偉大さによって真理が世の人々のものになったということから、後世ブッダは超人化され、絶対視され、ついに大乗仏教においては真理そのもの(法身:ほっしん)とみなされるようになり、全知者、絶対的な救済者 としての信仰の対象とされるようになった。

この時代と今の時代とでは明らかに違う。
今の時代に全知者など存在するわけがない。

まあ、読み進めてみることにしよう。

Tuesday, September 26, 2006

ご挨拶、改めて

この度、ラヴログから引っ越してきました。
正直、ここへの引越しに手間取りました(汗)

ここでは、趣味のひとつである競馬と日々感じたことを
時事ネタも織り交ぜて展開していきます。
どうかよろしくお願いします。

ラヴログURL http://blogs.dion.ne.jp/geko2002_by_kddi/