デイリー杯2歳ステークス(GⅡ)
キャリアが浅い2歳馬のレースは難解である。このレースの過去の連対馬には後のGⅠで活躍する馬も何頭かいるものの、GⅡのわりには将来性が高いレースとは言えないようだ。
おそらく1番人気になるであろうオースミダイドウは前走の野路菊で1着、デビューから2連勝で◎が普通だろうが、ひねくれている私は違う。その走破時計とペースに疑問を持ったのである。その野路菊と同じ中京1800mの未勝利戦を勝ったスナークトモクンとマイネルソリストの走破時計が1.48.4と1.47.9、それに対しオースミダイドウは1.49.7である。武騎手がレースで逃げたら、後ろから突っつかないというのが暗黙の了解。スローのマイペースで距離適性を計ったのではないかと考える。しかしながら、いつものことでアッサリ勝たれてしまうことも十分に考えられ、また、オースミの冠と中尾正厩舎ということも考えて▲評価にする。
臭いのが牝馬のクラウンプリンセス、3戦目に1800mで勝ち上がり、その後の新潟2歳Sで5着。この5着もスタート良く、5番手から10番手に一旦下げて直線で追い込んできたもの。その上がり3ハロンは33.8、怪しくもあり、チグハグなレースであったことは否めないと個人的に思った。
注目するは外国産馬であるアルシアラート、新馬戦を勝ち上がったばかりの新鮮味と福永騎手から藤田騎手への乗り替わりに魅力を感じる。
あとは同じく新馬戦勝ち後のメイショウバルドル、アラハと前述のスナークトモクン。
◎アルシアラート
○スナークトモクン
▲オースミダイドウ
△クラウンプリンセス
△メイショウバルドル
△アラハ
注ローレルゲレイロ
波乱もある2歳馬の重賞だけに今回は太字5頭の馬複BOXと押さえでオースミダイドウとローレルゲレイロの馬複。
Saturday, October 14, 2006
宗教を考える~キリスト教⑨
どの宗教の教祖も奇跡を行っている。キリスト教の場合でも例外ではなく、イエス・キリストは数々の奇跡を行ったが、これも19世紀から20世紀にかけての科学万能の時代には、非科学的なことは一切信じられないと否定されたり、古代人の無知による誤解であったとか、科学的に説明できるものは幾らでもあるとか称して、奇跡を科学に解消する試みがなされた。しかし、20世紀後半になって人類は二度の大戦と核兵器や環境破壊による危機感などによって科学の限界を知らされ、科学は人間の世界にとって万能ではないと思うようになり、科学以上の世界、神秘の世界、科学では説明できない世界があることを悟るに至って、聖書に書かれた奇跡を見直すようになった。
神は人類を男と女に創造し、成人した暁には互いに愛し合い、結婚して夫婦が一体となるように定められた。キリスト教ではこのように明瞭な男女観や結婚観を持っているので、ここから必ず結婚式を挙げ、神と人との承認や祝福を得なさいと教える。また、結婚したら必ず一夫一婦の貞節を守ること、不倫や浮気はいけませんと教える。日本人はこの点で少々ルーズで、政治家を初め「浮気は男の甲斐性」だとか「少々の不倫はいいじゃないか」といった風潮があるが、クリスチャンはそれに対して厳しい態度をとっている。
お金というものは非常に有用で魅力があるが、同時に非常に悪用されやすく、犯罪に繋がる危険に満ちたものである。
お金と人間の心は一体である。心の欲は節制せねばならないなら、お金もコントロールせねばならない。しかし、お金そのものが悪ではない。これを正しく用いる、たとえば助けを求めている人への援助などに用いるなら祝福の源ともなるのである。どんなに高い学歴をもち、どんなに素晴らしい業績を残そうが、社会の発展にどんなに深く貢献しようが、また、どんなに役に立つと思えるような慈善事業をしようが、そこに自分を捨てて人間や神に対する謙虚で真実な愛がなければ、神の前では全く空しく、意味がないということである。ここに人間の究極の価値を真実の愛の交わりの中にみるキリスト教特有の価値観がある。真実の愛の交わりが人間を育て、人間を完成する。それを破壊するものがエゴイズム※1であり、欲望なのである。
それについて神は、死後、人間を裁く。
(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)
※1エゴイズム:自己の利害だけを行為の基準とし、社会一般の利害を考えない主義
どの宗教の教祖も奇跡を行っている。キリスト教の場合でも例外ではなく、イエス・キリストは数々の奇跡を行ったが、これも19世紀から20世紀にかけての科学万能の時代には、非科学的なことは一切信じられないと否定されたり、古代人の無知による誤解であったとか、科学的に説明できるものは幾らでもあるとか称して、奇跡を科学に解消する試みがなされた。しかし、20世紀後半になって人類は二度の大戦と核兵器や環境破壊による危機感などによって科学の限界を知らされ、科学は人間の世界にとって万能ではないと思うようになり、科学以上の世界、神秘の世界、科学では説明できない世界があることを悟るに至って、聖書に書かれた奇跡を見直すようになった。
神は人類を男と女に創造し、成人した暁には互いに愛し合い、結婚して夫婦が一体となるように定められた。キリスト教ではこのように明瞭な男女観や結婚観を持っているので、ここから必ず結婚式を挙げ、神と人との承認や祝福を得なさいと教える。また、結婚したら必ず一夫一婦の貞節を守ること、不倫や浮気はいけませんと教える。日本人はこの点で少々ルーズで、政治家を初め「浮気は男の甲斐性」だとか「少々の不倫はいいじゃないか」といった風潮があるが、クリスチャンはそれに対して厳しい態度をとっている。
お金というものは非常に有用で魅力があるが、同時に非常に悪用されやすく、犯罪に繋がる危険に満ちたものである。
お金と人間の心は一体である。心の欲は節制せねばならないなら、お金もコントロールせねばならない。しかし、お金そのものが悪ではない。これを正しく用いる、たとえば助けを求めている人への援助などに用いるなら祝福の源ともなるのである。どんなに高い学歴をもち、どんなに素晴らしい業績を残そうが、社会の発展にどんなに深く貢献しようが、また、どんなに役に立つと思えるような慈善事業をしようが、そこに自分を捨てて人間や神に対する謙虚で真実な愛がなければ、神の前では全く空しく、意味がないということである。ここに人間の究極の価値を真実の愛の交わりの中にみるキリスト教特有の価値観がある。真実の愛の交わりが人間を育て、人間を完成する。それを破壊するものがエゴイズム※1であり、欲望なのである。
それについて神は、死後、人間を裁く。
(引用文献:仏教 キリスト教 イスラーム 神道 どこが違うか)
※1エゴイズム:自己の利害だけを行為の基準とし、社会一般の利害を考えない主義
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